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第17回 ロブ・ハイマンとの短い再会 前編

 まず前回述べた、第57回グラミー賞予想に関して。サム・スミス主要4部門独占は外れ、3つ獲得に留まったのは周知の通り。報道で4冠とされているものもあるが、それは最優秀ポップ・アルバムをいれた数で主要部門では3である。結構大きいところを逃し、オルタナティヴの範疇を超えて高い評価を受けたベックの『モーニング・フェイズ』が最優秀アルバムに輝いた。受賞を最も思い到らなかった1枚だったので、報を耳にすると同時に驚きに膝から崩れ落ち、脱力と諦観に見舞われたものだ(んなオオゲサな…)。なんにしても年に一度の、とても楽しい時間でした。
 
 ところで。2015年1月20日夕刻。シンディ・ローパーの”30周年アニヴァーサリー・セレブレーション ジャパン・ツアー2015”を観るため、私は東京・九段の日本武道館にいた。会場はぎっしりと満席。80年代にシンディが大活躍していた時代から洋楽に親しんできたであろう人々が、しっかりと社会を担う世代になり、またこの”大きなタマネギの下”に集ったという趣きだ。
 
 ショーは、スタッフ/セキュリティに囲まれてお祭りモードでアリーナ・フロアに乱入したシンディが、観客席からステージに上る演出で幕を開け、記念すべきソロ・デビュー作『N.Y.ダンステリア』(現邦題『シーズ・ソー・アンユージュアル』)をほぼ再現(プリンスをカヴァーした「ホエン・ユー・ワー・マイン」を除く全曲)した上に代表的ヒットをも披露する充実の内容であった。印象的だったのは、80年代サウンドのライヴでの再構築精度の高さだ。デジタル機器による音作りの汎用が徐々に進み、派手で奇異ながら時に不安定で浅薄な効果音のような演奏が音盤化されていた80年代前半くらいのヒット・アルバムは、今から振り返るとそれなりにそれぞれ独自の味わいと時代的郷愁を感じさせる。ただ当時よりそれらをステージの巨大PAで再現しようとすると粗ばかりが強調され、作品やアーティストの魅力を損なうケースが少なからずあった。デジタル機器によるサウンドを緻密に再現する技術が確立されるまではコンサート史におけるサウンドの負の時期だったのかもしれない。やがてそれが解消されると、あの80sだけの薄っぺらなキラキラ感(褒めてます)そのものも後退し、迫力ある完成されたライヴ・サウンドは出せても、当時のあの危うく安い楽しさは味わえなかった。それがこの夜。『N.Y.ダンステリア』をLPレコードで聴いていたときの、新しくていいけど馴染みきれない、あるいはまだしっくり来ない感じが新鮮だった80sの愛しい音が、あまりに見事に再構築されていて驚いた。”ちょっと空回りしてるよね~”くらいの微細な加減までをも意図的に盛り込んでいるかのようなサウンド作りに毛頭ほども嫌みはなく、このフィーリングをこそ望むであろう観客の感性を熟知したごとき巧みな音の質感で、終始演奏は彩られていた。私はコンサートの音響デザインには完全な門外漢だが、シンディには、どこかとてつもなくセンシティヴな技量のスタッフが付いていたように思えてならない。

シンディ・ローパー『シーズ・ソー・アンユージュアル 30th アニバーサリー・ライヴ〈フロント・アンド・センター〉 at ハイライン・ボールルーム』(CD+DVD)
シンディ・ローパー『シーズ・ソー・アンユージュアル 30th アニバーサリー・ライヴ
〈フロント・アンド・センター〉 at ハイライン・ボールルーム』(CD+DVD)
2015年3月25日発売 SICP-4406~7 3,800円(税込)ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

 そのシンディ。単に客席から眺めているだけのくせに、以前に比べ体力も集中力も劣ってしまい、ショーを楽しむにも労を要するような己れの体たらくを鑑みると、自分より年長の女性スターが凄まじいパワーで圧巻のエンタテイメントを体現しているのを目の当たりにして、思わず鼓舞されずにはいられなかった。エネルギッシュなロック・ナンバーで焚きつけられ、エモーショナルなバラードで胸を締めつけられる。この夜のいくつもの忘れ難い瞬間にあって、名曲「タイム・アフター・タイム~過ぎ去りし想い~」の前に歌ってくれた日本語曲はとりわけ心に響いた。それは82年、いわば苦闘時代の彼女がニューヨークの日本人向けピアノ・バー=MIHOで働いていたころ、時おり披露していたという「忘れないわ」だった。
 69年にペギー・マーチが日本で発売した、三木たかし作曲/山上路夫作詞のシングルのカヴァーだ。11年3月11日の大震災後、言うまでもなくシンディ・ローパーは真摯に日本を思ってくれた特別な海外スターのひとりである。それを踏まえると、「忘れないわ」の歌唱には言葉では伝えきれない様々な想いが託されていたように感じられて、内側が激しく揺さぶられた。「忘れないわ」に連なる形での「タイム・アフター・タイム~過ぎ去りし想い~」が、またいっそう効いた。そして今回のツアーには、「タイム・アフター・タイム」の共作者ロブ・ハイマンがキーボード・プレイヤーとして同行していたのだ。
 ショーの本編をまさしく白眉となった「マネー・チェンジズ・エヴリシング」で終え、アンコールではさらに「上を向いて歩こう」を聴かせ、「イマジン」そして「トゥルー・カラーズ」で麗しい時間は幕を降ろした。終演後、とある流れでバックステージを表敬訪問することになり、シンディ本人にすばらしいライヴの礼を伝えられたが、もうひとり、やはり会いたい人物がいた。もちろんロブ・ハイマンだ。ロブに初めて直接会ったのは、もう28年前、1987年5月のことだった。
                                
後編に続く

(2015.03.16)

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