九州のほぼ中央、九重連山(くじゅうれんざん)にすてきな山小屋がある。
法華院温泉山荘(ほっけいんおんせんさんそう)。
名前が示すとおり、温泉のある山小屋だ。九重登山の拠点になっている長者原(ちょうじゃばる)から九州自然歩道を1時間半ほど歩いた湿原、坊ガツルの奥にその山荘は建っている。
登山者に人気の山小屋はおおまかに分けて2種類ある。ひとつは設備は簡素だけどアットホームな雰囲気が漂う昔ながらの小さな山小屋。もうひとつは山中とは思えない設備で快適に滞在できる山小屋だ。法華院温泉山荘は後者であり、山小屋というよりは旅館に近い。建物は広く、部屋数も多い。電気が引かれてないから自家発電で電力を確保しているのだが、館内は明るい照明が灯り、大型テレビで衛星放送が映し出される。
でも一番のウリは、やはり温泉だ。
雄大な湿原、坊ガツルを見渡せる場所に浴室があり、檜の湯船に温泉が絶えず流れている。単純泉のお湯はやわらかく、全身をゆったりと包み込む。身体が温まってのぼせそうになったら、裸で湯船の外のオープンデッキへ。正面に平治岳(ひいじだけ)、大船山(たいせんざん)、立中山(たっちゅうさん)の三山がそびえ、麓に坊ガツルが広がる。
身体が冷えたら、再び湯船に浸かり、温まったら再び眺めのいいオープンデッキへ。心地よい開放感を単純に繰り返す。歩いてしか行けない場所で味わう極上の体験だからこそ、喜びもひとしおだ。
僕が初めて法華院温泉山荘を訪れたのは、かれこれ10年以上前になる。阿蘇周辺を歩いて旅したあと、南のくじゅう高原から久住山を縦走して、湯布院方面に向かう道中で立ち寄って1泊した(表記がややこしいけど、山域は九重で、主峰の山名と町名は久住、高原はくじゅう、と書く。ちなみに法華院温泉山荘では、真冬に九重連山を歩いて寒さを体験する『苦渋登山』と、夏の『苦汁登山』を開催している。苦汁とはビールのことであり、山を歩いたあと温泉に入って生ビール飲み放題という楽しいイベントだ)。
そして2013年12月。今度は良心くんとともに法華院温泉山荘を訪れたが、前日に雪が降り、周辺はうっすらと雪化粧していた。
九州の山だから、とナメてはいけない。冬は冬山の装備がなければ縦走はむずかしい。しかしそんな山域だからこそ、温泉のありがたみがより感じられることもたしかで、僕は外の雪景色を眺めながら、心地よい温泉を堪能した。
法華院温泉の歴史は古く、起源は鎌倉時代にさかのぼる。法華院の名のとおり、この一帯には寺院が5つもあって修験場として栄え、1000人以上の人々が山深いこの地で暮らしていた。
山小屋をはじめたのは明治に入ってからで、法華院温泉山荘の先代たちはここで暮らして麓の学校に通っていたそうだ。毎日片道4時間かけて歩いていたというから、なんともタフな小学生たちである。
現在の社長、弘蔵岳久(ひろくら・たけひさ)さんは僕と同年代だが、子供の頃は両親が山荘に住み込み、弘蔵さんは麓の家で祖父母に育てられた。弘蔵さんは週末になるとひとりで法華院温泉山荘に来ていた小学生だったという。
「小学生がひとりで登ってくることなんて普通はないですからね。猟師に獲物と間違われて撃たれそうになったこともあります。山荘に来ると大人たちにかわいがられましたねえ。10歳からビールを飲まされてましたから」
それを苦汁を飲む、と表現していいかわからないが、九州男児らしい豪快なエピソードである。
また、九重には伝説的な犬の話がある。
秋田犬の平治号(へいじごう)。登山口の長者原に平治号の像とともに説明書きがあったので、それを紹介しておこう。
「かつて九重に平治号という名の秋田犬がいました。平治号は昭和48年頃に住み着き、登山者とともに山歩きを楽しみながら、九重一帯の登山コースをすべて覚え、登山者をガイドしてきました。山中で迷ったり、濃霧や吹雪にあって立ち往生した登山者を誘導し、無事に下山させたことも数多く、平治号の活躍は多くの人々から称賛されました。やがて老衰のため昭和63年6月にガイド犬を引退。同年8月3日静かに永眠しました」
犬連れ登山を禁止している山域が増えていることを考えれば、よき時代であったんだなとあらためて思う。
ちなみに、高山植物が咲き誇る高地や、登山者でにぎわう山域に僕は犬を連れていく気はない。でも標高2000mに満たない山域で「自然環境保護のため、犬連れ禁止」と書いてあっても従う気にはなれない。犬が入域することで自然環境にどのような悪影響を与えたのか、実例やデータは何ひとつないのが現状だ。犬連れを禁止するなら、科学的根拠を提示してもらいたい(こう書くと、犬連れでも自然に影響がないことを証明するデータを出せ、といわれるだろうけど)。犬が歩いたくらいでダメージを受けるほど、日本の自然は脆弱ではないはずだ。そんなに弱い自然の中に登山道やトレイルが設定されているとしたら、犬よりも登山者の数を規制すべきではないだろうか。
僕は犬連れバックパッカーだから、この話題になると熱を帯びてしまうが、平治号のような犬は今後現われることはないだろう。
「九重の良心、平治号にあり」である。いや、「九重の良心、平治号と平治号を愛した人々にあり」というべきだと思う。
良心くんを平治号の石像の横に並べた僕は、合掌してから、九重を離れた。
photos by sherpa saito
*法華院温泉山荘のホームページ
http://hokkein.co.jp/