奈良県の十津川村に出かけた。
十津川村は日本一大きな村だ。面積は672.35㎢。数字を見てもピンと来ないだろうが、驚くことに東京23区よりも広い。村のほとんどが山林で渓谷が入り組んだ地形のため、吊り橋の数も日本一を誇る(長さ297m、高さ54mの谷瀬の吊り橋が有名だが、それ以外にも大小様々な吊り橋が60基以上もある)。
人口は4千人にも満たず、過疎化が進んだ村ではあるけれど、十津川村には世界遺産に登録された熊野古道が通っている。
吉野と熊野本宮大社を結ぶ修験道の大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)と、高野山と熊野本宮大社を結ぶ小辺路(こへち)。
大峯奥駈道は何年か前に全行程をひとりで歩いているので、良心くんを伴った今回の旅は小辺路を歩いてみることにした。
「三浦峠の手前に杉の防風林があります。あまり知られていませんけど、世界遺産にふさわしい巨木だと思います」
十津川村に移り住んだ若者からとっておきの情報を聞き、三浦口から三浦峠に向かって小辺路を歩き出した。
そして古き石畳の道を歩くこと、約30分。
そこには芸術作品のような杉の巨木がそびえていた。
樹齢500年前後、幹周り4〜8mと巨木の説明板に書かれてある。この地には旅籠を営んでいた吉村家の屋敷跡があり、巨木は屋敷を守る防風林だったという。
1本の巨木ではあるけれど、枝分かれして横に張り出しているため、存在感は抜群だ。防風林として機能させるため、先人たちが意図的にこのような状態で成長させたのだろう。
僕はバックパックから良心くんを出し、巨木の前に立たせてみた。
森の精霊が潜んでいそうな神秘的な巨木と、無邪気な笑顔の良心くんがよく似合う。考えてみたら、良心くんは樹齢約300年の木曽檜から生まれているのだ。姿は違えど、同じ老木仲間なのである。違和感を覚えないのも当然なのかもしれない。
先輩格である樹齢500年の杉から良心くんは森のエネルギーを注入されたのではないか。そう決め込んで、良心くんをバックパックに入れて熊野古道の先へと向かった。
そして三浦峠を下って車道に出たところで、僕は十津川温泉行きのバスを待った。
バスは1日4本しかない。バスが来るまでの間、僕はバックパックから良心くんを出した。バス停がある民家の軒下には古ぼけた郵便ポストがあって、いい雰囲気なのである。
写真を何枚か撮っていたら、郵便屋さんの赤いカブがやってきた。ポストの前に止まり、扉を開けて中身を確認したあと、年配の郵便屋さんは良心くんを見て目を丸くした。
「なんや、これ?」
僕は良心くんを紹介し、良心くんとどんな旅をしているのか説明した。
「けったいなやっちゃな」
彼はそう言って笑い、煙草を取り出して一服した。
「十津川村は広くてかなわんわ。わしひとりで上湯川まで走って、開けてくるんやで」
地名を聞いてもわからないけど、東京23区よりも広い十津川村である。彼ひとりで世田谷区や渋谷区一帯をまわっているようなものかもしれない。また彼は「(ポストを)開ける」と表現したけど、それが印象的だった。村の郵便ポストを回収しても、郵便物が投函されているケースはほとんどないのだろう。郵便物を回収するのではなく、各地区の郵便ポストを開けることが彼の日常業務なのだ。
「この先に歩いてしかいけない家があるんや。バイクを下りて吊り橋を渡って山道を登っていかねばならん。行って帰って40分もかかるんやで。かなわんで、ほんま」
郵便屋さんが苦笑した。たしかにそうだろう。たとえ葉書1枚でも、彼は吊り橋を渡って山道を往復40分も歩いて配達しなくてはならないのだ。それがしょうもないDMだったりしたら、やってらんないだろう。
郵便屋さんは煙草を吸い終わると、「気いつけてな」と言って、カブを走らせた。
さて、それから2年後。
僕は高野山から熊野本宮まで熊野古道小辺路の全行程を歩いた。さらにその後、BS朝日の特番『ロングトレイル、歩く旅 シェルパ斉藤 熊野古道を行く』の撮影で、再び小辺路に出かけた。
三浦峠を下り、良心くんと歩いたときのようにあのバス停で休憩していたら、あの郵便屋さんが現われたのである。
予期せぬ再会を収録することができたし、郵便屋さんはあのときと同じように、吊り橋を渡って40分かけて郵便配達するエピソードをスタッフに披露してくれた。
この人もニッポンの良心なのだ。
彼は今日も十津川村をカブで走り回って、ポストを開けて回っていることだろう。
この人に良心くんの頭を撫でてもらうべきだったな、と後悔した。
photos by sherpa saito
熊野本宮観光協会(熊野古道)
http://www.hongu.jp/kumanokodo/