山岳雑誌『PEAKS』で『シェルパ斉藤の山小屋24時間滞在記』という連載をしている。
タイトルが内容を語っているから詳しくは説明しないが、『歩いてしか行けない山小屋は究極の旅の宿』をコンセプトに、僕は毎月のよう山小屋へ出かけている。
その山小屋取材に、わが良心くんを同行させてみることにした。
良心くんの体重は約2kg。サイズも山岳用テントくらいだから、バックパックにもすんなり収めることができる。テントや寝袋を持たずに泊まれる山小屋なんだから、良心くんを背負って山を歩くことくらい、どうってことない。
めざすは八ヶ岳の主峰、赤岳である。
八ヶ岳山麓で暮らす僕にとっては、ホームグランドともいえる山域だ。最も近い登山口までは車で20分程度で行けてしまうが、最もポピュラーな登山口である長野県茅野市の美濃戸口(みのとぐち)からのルートを選んだ。
美濃戸口からのルートは二つある。名前が示すとおり、北の沢を通る北沢と南の沢を通る南沢。距離とコースタイムを比べると南沢を歩いたほうが近道なのだが、これまで何度か歩いた経験からいうと、北沢のほうが近く感じる。北沢はしばらく林道を歩いてから、沢沿いに入っていき、赤岳鉱泉(あかだけこうせん)という大型の山小屋を経由して赤岳直下の行者小屋(ぎょうじゃごや)に着く。一方、南沢は延々と沢歩きが続く。風景の変化に乏しいため、心理的に南沢が遠く感じるのだろう。
北沢を約2時間歩き、赤岳鉱泉でひと休みしてから行者小屋に到着した。
行者小屋は横岳や赤岳、中岳など、八ヶ岳の主稜を眺めるのに絶好の場所でもある。
小屋の前にはテーブルやイスが並べてあり、テラスでは生ビールや熱々のおでんが売られている。登山者たちは生ビールを飲みながらおでんを頬張って絶景を楽しむ、といった最高のぜいたくが味わえる。
僕はテーブルに良心くんを置いたが、登山者の眼中には、八ヶ岳の雄大な景色しか入らないのだろう。良心くんの存在には誰も気づいていなかった。いや、実際には気になっているけど、妙な姿だし、この場にいることに違和感を覚えて気づかないふりをしていたのかもしれないが……。
良心くんを再びバックパックに入れて、本格的な登りに入る。急峻な上り道が連続するが、音を上げたくなるほどのきつい登りではない。コースタイム1時間25分の行程を50分程度で登り切り、見晴らしのいい尾根に出た。
地蔵の頭といわれる地点で、小さなお地蔵さんが祀られている。良心くんくらいのサイズだからツーショットの写真を撮ろうかな、と一瞬思ったが、道中で良心くんを出すのが面倒で、素通りした。
地蔵の頭から先は、八ヶ岳の稜線に沿って標高2,899mの赤岳山頂をめざす。きつい登りではあるけれど、雄大なパノラマを堪能できる極上のトレイルだ。
赤岳の山頂は赤岳頂上山荘からさらに先、50mほど離れた場所にある。今夜お世話になる赤岳頂上山荘に荷物を置いた僕は、風呂敷にくるんだ良心くんを抱えて小屋を出た。
八ヶ岳一帯は首都圏から近くて人気が高いし、赤岳は深田久弥(*)の日本百名山にも入っている。さらに空気が澄んだ絶好のコンディションだったため、山頂は多くの登山客でにぎわっていた。
とくににぎやかなのは、中高年の女性グループだ。彼女たちのはしゃぐ声や笑い声は、赤岳頂上山荘のテラスまで届いている。
僕は山頂に立つことに、執着していない(その理由は別の機会に説明したい)。でも多くの登山者にとって、山頂は是が非でも立ちたい特別な場所だろう。赤岳の山頂は記念写真を撮る人たちでひっきりなしだ。でもそのうち途切れるだろうと信じて、僕は待ち続けた。
そしてようやくそのときが来た。
僕は風呂敷を解いて良心くんを出し、山頂の一等三角点に良心くんを立たせた。
大きさもデザインも、一等三角点は良心くんの台座にぴったりだった。初めからここにあったんじゃないか、と思えるくらい、良心くんもしっくり来ている。
何枚か写真を撮っていたら、背後でおばさんたちの声がした。
「あら? お地蔵さんじゃない。前からあったかしら」
「あ、いえ。この子は僕が持ってきました。ここで写真を撮っただけです」
僕はおばさんたちから逃げるかのように急いで良心くんを風呂敷にくるみ、山頂を立ち去った。
あのまま、良心くんを一等三角点に立たせておいたら、どういう展開になっただろう?
拝む人もいたかな? 手前にシェラカップでも置いておけば、お賽銭を入れる人もいるかもしれない。ひとりが入れたら、みんなも釣られてお賽銭を入れるだろう。これは詐欺じゃないよな。お金を入れてください、と書いているわけでもないし……。
そんなことを考えてほくそ笑んだ僕は、我に返った。
おい、おい。これではニッポンの邪心じゃないか。
僕は良心くんの頭を撫でておおいに反省した。
(つづく)
photos by sherpa saito
*編集部註:深田久弥(ふかだ・きゅうや)。
読売文学書を受賞した著書『日本百名山』(64年)で知られる小説家、登山家。
同書はのちの登山界に大きな影響を与えた。1971年没。去年68。
深田久弥 山の文化館 http://www2.kagacable.ne.jp/~yamabun/