インド行きのチャンスが巡ってきたのは2年後。
皆既日食を狙って、友人ギタリストのMV撮影を兼ねて映像ディレクターとカメラマン。そして旅友の音楽ライター女子の4人旅。
出発の日、私は仕事が終わらず。間に合わないのは分かっていても諦めきれずにタクシーをとばして成田空港に着いたのがフライト時刻直前。”悲しく見送るか。”とカウンターに行くと機体到着が遅れていて皆が居るではないか。間に合ったのだ。“呼ばれている。”と天に感謝した。
ニューデリー近郊、太陽もまだ低い位置にいる早朝。三脚にカメラを構えその時を待つ。いつもは対照的な月と太陽がゆっくりと近づき影の月が太陽と重なった40秒の永い静粛と冷気。眩しく輝いたダイヤモンドリング。復活を祝福するようなイキモノ達の歓声。そしてまたゆっくりと離れてゆくふたつの星。
初めて体験する神秘的な天体現象の撮影に翻弄されながら太陽熱のパワーをリアルに感じた。そういえば、前日のインドの新聞に“その時刻に不吉な事が起こるので外出しない様に”というお触れが出ていたのだった。太陽熱が遮断された瞬間を思えばそれも理解出来る。
そして、三度目のプシュカール。
らくだにゆられて砂丘を散策をしたり、いつになくフェアを満喫した。
友人達と連れだってマルチサーカスに行くと、今までとは違うよそよそしい空気。どこを探しても誰に聞いても私のジョーカー、脂で黄ばんだ歯が覗く大好きなカリヤの笑顔はどこにも無い。今回は本当に現れないのだった。。。
彼の不在と。楽屋裏もバタバタと急がしそうで、以前とは何かが違い居心地悪くサーカスへの足が遠のいてしまった。実はファミリーの中で分裂があったらしくてそんな事も影響しているのだろうか。枝分かれしたサーカスはスリヤサーカスと名乗り対向意識を露に隣のテントで興行してた。
宙ぶらりんになった気持ちを誤摩化したくて必死にスナップ写真を撮っていても“何をしているんだろう。”という疑問が湧いてしまう。
フェアも最高潮で寺院へ向かう道は一方通行。宿に戻るにしても遠回りを強いられる。今までは殆どサーカスにいたので、ここまでの状況を体験するのは初めてだった。沸き立った人の流れに紛れてもみくちゃにされながら、なんとか帰り着きほっとして気が付くと財布を擦られていた。宿のインド人は「だから気をつけろと言ったじゃないか。」と冷たい。すっかり歯車が狂っていた。
人混みを抜けて砂丘に行く気にもならず。考えを巡らせながらぼんやりと満ちた月がプシュカール湖に浮かぶのを眺めて過ごした。
そして、いるはずも無いのに “もう一度だけ。”と自分に言い聞かせて、いつもカリヤとの時間を過ごした砂丘へ向かった。
不思議な事があるもので、まるで別人のようだが、そこにはカリヤがいた。
折り目の入ったスラックスがよく似合っている。家族と一緒に来ていて可愛い奥さんも紹介された。
砂の上に座り一緒に片割れのサーカスを見ているとカリヤが「スリヤよりも、マルチサーカスの方が面白い。」と口を尖らせ指でバツをつくる。私も頷く。家族なのに上手くいかないものだなと思うと悲しい。
“カリヤはもうジョーカーではないのかしら。”と、なぜかその時は聞けなかった。
やっと会えたカリヤと離れがたく。予定を伸ばして私はひとりプシュカールに残る事にした。次の場所へ発つ友人達を見送り、早くマルチサーカスへ行きたいのに途中で顔なじみに呼び止められ中々前に進めない。
やっと辿り着いて楽屋裏のテントを覗くと、いつも子供達を叱って世話しているおばあさんが体調を崩して寝ていた。お見舞いしてベッドの横に腰掛けショーが始まるのを待っていると、まるで私の思いが通じたかの様にジョーカーの衣装を纏ったカリヤが現れ、ショーの始まりを告げた。気持ちを読み取られたようで、少し恥ずかしいけれど、嬉しかった。
アクロバットの写真を撮っている時に間違ってストロボを焚いてしまうと、カリヤに注意されてしまった。そんな事、今までは無かったのに。。。
ジョーカー、カリヤとの静かな時間は短くても濃密で、彼の瞳は深い湖のようだった。
段ボール箱から見つけた旅日記を眺めながら今も大して変わらない自分自身と付き合っていくしか無いと苦笑い。
相変わらず月の満ち欠けに翻弄される日々。
狂った歯車さえも、後で思えば愛すべきもの。
深淵で重なる過去と未来。
目の前には波立ちながら過ぎる現在。
金色の丸い額縁の中でジョーカー姿のカリヤは私をチャイに誘っている。
全ては月の仕業。
※本連載は今回で最終回となりますが、この内容に写真を多数加えてボリュームアップしPHOTOエッセイとして再構成した作品を電子書籍の形で今夏にリリースします。詳細は、本サイトで随時ご紹介していきます。どうぞ、お楽しみに。(編集部)